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オトナって、いつも光ってるなぁ

福岡市の中心街にある印刷機材の卸業を
営む二代目の長女として生まれた私は、
幼い頃からなぜか大人のオーラが見える子どもでした。

自宅とオフィスが商店街の中の
小さな建物に同居しており、
常に周りには人が忙しく動きまわり
その間をチョロチョロしていたようです。

幼稚園に入る前でしたが、
「オトナっていつも光ってるなあ」
しかも人によって光の大きさや濃さが違う。。。
それがいつも不思議でした。

もっとも子どもの眼に広がる世界は、
日々不思議なことだらけ。
大人が光っていることも
自然なことなのだろうと
素直にまるごと受けとめていました。

いつも2つ年上の兄と一緒に走り回り
何針も縫うようなケガを繰り返す
元気いっぱいの子でしたが、
我が家が郊外の一戸建てに引っ越すことになり
それを境にして私の性格も運命も変わり始めました。

ねえ、お母さん。なんでこの宗教に入ったの?

新しい暮らしがスタートして数年が経った頃、
母は夫婦関係と父の実家との関係に苦しむようになっていました。
その心の混乱は、彼女が救いを求めて
飛び込んだ「新興宗教」の存在でさらに肥大化。

情緒が次第に不安定になっていき、
突然、意味のわからないことで怒りを爆発させたり、
泣き出したりするようになり。
部屋の中の物をすべて庭に放り出してみたり、
自宅からバスと電車で乗り継いで
一時間以上かかるデパートに10歳の私を置き去りにして、
そのまま帰ってしまったこともありました。

そんな母親としての役割が崩れていく一方で
信仰心だけは強化されていく日々。
信者の獲得数を増やすために
夜も日も明けずに奔走する彼女は
地域の神社仏閣は”邪教”の巣窟だからと
決して足を運ばないことを家族に約束させました。

ある日、母に尋ねました。
「ねえ、お母さん。なんでこの宗教に入ったの?」
「幸せになるためよ」
「え!? でもお母さんってぜんぜん幸せそうに見えないよ」

しかしその一言が、なぜか言葉になりませんでした。
子ども心にそれまでの母の人生を
傷つけるような気がしていたのと、
もしそれで怒りに触れたら
自分がどうなるのか彼女の行動が予測できず
密かに怯えてもいたのです。

「お母さん、私もね、ぜんぜん幸せじゃないよ」
もちろん言えない一言でした。
こうして抑えこまれ増えていったのは
【怒り、恐れ、不満、哀しみ】でした。

そうして次第に、
そんな母から生まれ出た自分は
<呪われた無力な存在なのではないか>と
疑うようになっていったのです。

真に人が幸せになるためには、どうすればいいの?

深い葛藤を抱えた日々でしたが
中学生になり、母から逃げるように
のめり込んだ部活で
県大会に優勝するまでになり、
その実績から推薦で行ける高校があったにも関わらず
第一志望校を受験して、こちらは失敗。
結局、進学することになった高校は
皮肉にもカトリック系の女子校でした。

受験校の選択も失敗も自己責任だからと
誰にも文句は言えないものの
家庭と学校で宗教が違い、
そのどちらもが”一神教”

ますますの混乱の中、思春期の私は
神や仏を語る大人ほど
斜めに見るようになっていったのです。

「目に見えない世界にすがることなく、
自分らしく生きている人に逢いたい!」

そんな大人の姿に飢えていた私は、
さまざまな雑誌や本に登場する、
イキイキと夢を叶えている者たちの話が聞いてみたい、
という願望が生まれ、インタビュアーやライターという
仕事に憧れるようになりました。

宗教の匂いがしない環境を求めて、進学をチャンスに上京。
その後なんとか夢を叶えることができて
しばらくして、ニューエイジブームが到来しました。

物質主義的な価値観とは無縁で
古典的な宗教や新興宗教ともベクトルの違う気配をもつ
深淵な哲学のような、次元を超えた物理学のような。

そんな精神世界が示す文化にこれまで
苦しんできたことの答えがあるかもしれない、と
感じていていたものの、警戒心も働いていました。

当時、流行の兆しを見せていた
自己啓発などを行うグループに参加することは
嫌悪感と抵抗があったからです。

母の姿から集団行動が見せる意識のうねりが
個人を危うい方向に誘導してしまう危険性を
肌身で感じて育ったせいでしょう。
好きなアーティストのライブさえ
足を運ぶことができない時期もあったほどです。

そんな日々の中で常に頭のなかにあったのは
「人が真に幸せになるためには、どうしたらいいの?」
という切実な問い。
知りたいことを少しずつマイペースに学べる
書店や図書館が当時のやすらぎの場でもありました。

あるとき、縁あってアメリカに住むチャネラーに
「自分の過去世と未来」を
アカシックレコードを通して視てもらう機会を得ました。
それによると私の過去世はいくつもあり、
ある生涯では古代ポリネシアンのヒーラー。
ヒーリングを行う傍ら
当時代々伝わっていた秘法を書きとめ、
管理する役目を担っていたり。
また、ある生涯ではエジプトのピラミッドの設計者。
古代の日本では、とあるエリアの
人口比率の統計をとったり
人の生死を記録する係、今で言えば
公務員のような仕事もしていたようです。

ちなみに、そのチャネラーからは
「今世ではいずれ本を出版するだろう」とも
予言されていました。
年代ははっきりしていませんでしたが、
2013年、確かにそれは実現されたのです。

こうして輪廻転生やアカシックレコード、
地球と宇宙、神霊の世界と宗教の関係性などの
仕組みを学んでいくことが、
仕事の合間のもう一つの大切な時間になっていきました。


Turning Point

私は、生きるに値しない存在なのだ

アダルトチルドレンによく見られるケースですが
「結婚しても子どもは持たないでおこう」
私自身、そうしっかり決めこんでいました。

母は何か辛いことに直面すると怒りと悲しみのエネルギーを
容赦なく子どもにぶつけてきたので
「私もいつかこうなるんじゃないか。。。」
自分自身の母性の脆さに直面するのが怖かったのです。

育った環境を否定していた分だけ、
自分という存在にも一層の心地悪さを覚えていた時期でした。
セルフイメージは最低最悪だったのです。

それでもいくつかの恋愛を経て28歳で結婚。
しかし4年目で破綻。それからしばらくして、
イギリスで宇宙物理の研究者として暮らす
二度目の夫となる人と出会い、
数年後に再婚することになりました。
しかし、どういうわけか入籍後に
英国大使館へ申請したビザがおりず、
夫婦一緒に暮らすことができない状態に。。。

今の私ならこの状態を【大切なサイン】だと理解できますが、
当時はわけがわからず、途方にくれるばかり。
話し合いの末イギリスを相手取り、裁判に訴えることにしたのです。

後で聞いたところによると、
日本とイギリスが国交回復して以来の裁判(!)
準備するにも前例がなく大変な道のりでした。

約2年後に判決で勝利し無事にビザが出たものの、
それまでの日々には予想外に辛いことが多すぎ
2人とも疲労困憊。
普通に暮らしていても結婚生活には
越えなきゃならない壁があるもの。
その気力が残っていなかったのでしょう。
願いが叶ったにも関わらず
わずか半年で別居することになってしまったのです。

当時、日本でも母の信仰が原因で両親は別居中。
父は会社を整理し、実家も売り払っていました。
身も心も休める場所もないまま、
再び日本へ戻ることになったのですが
そんな私を待っていたのは
突然の「親友の死」でした。

裁判を経験したことのある方ならお分かりかと思いますが
ある種特有のストレスに晒されます。
望んでもいない環境の変化に適応せねばならないうえ
さらには(経験した方はお分かりかと思いますが)2度目の離婚。
が訪れたと同時に、大切な人の死に直面。
何もかも奪われた状態でした。

ハードな変化や喪失の経験は、
どれか一つに直面するだけでも
心を病む可能性が非常に高まると云われています。
すべてが一度に重なった私は
こう受けとめるしかありませんでした。

「お前は幸せになるどころか、生きるにも値しない存在だ」

どこからか湧いてきたその残酷なメッセージは
絶えず私を苛み、追い込んでいき
当時の私にはこの考え以外、
他に心の中に入れるべきものが何もない状態でした。

生きているとわかるのは<苦しみ><悲しみ>
という痛みを感じる瞬間だけ。

心理カウンセリングを受けても、
当時は我が不幸ぶりを
再確認するだけの場でしかありませんでした。

「人生をやめるときが来たのかもしれない」

こういうとき、人は死を選ぶんだなと
妙に納得したものです。
途方に暮れたあとに訪れるもの。
それは夜明けではなく、永遠の闇。

そんなある日、友人が知り合いに紹介されたと言って
重い悩みを抱えている者が多く訪れるという、
ある方を一緒に訪ねることになったのです。

自分の中に渦巻く漆黒の闇を吐き出す場所を
求めていた私にとって
初めて出会うミディアム(霊媒師)でした。

ヒーラーとしても活動しているその男性は
特定の宗教団体や組織とは関係なく、
日頃は別の仕事をしながら
霊障からくる心身の不調を整えたり、
先祖霊がマイオフィス(?)にしている神社を
教えてくれる方(仮名:Kさん)でした

人には、生まれた家系があるように”霊系”があります

Kさんはセッションに入ると、私の守護霊だという
母方の祖母(私が生まれる前に他界)からの
メッセージをいくつか伝えてくれました。

それが本当に祖母の言葉かどうか
確信はなかったのですが、
なぜか急に昔から母がくりかえし語っていた
祖母の最期の様子が甦ってきて
それが本当のことなのかどうか
確かめてみたくなったのです。

亡くなった時、まだ老いてはいなかった祖母。
その死の原因が何なのか、彼を通して聞いてみました。

Kさんの口から出た祖母の答えは、
母の話を裏付けるものでした。
自殺未遂による病死だったのです。
祖母は、自分の死因が娘にトラウマを残すことになり、
その後に生まれた孫の私にも
辛い思いをさせてしまうことになった
”人生の負の連鎖”について
「本当に申し訳ないことをしてしまった」と
彼の肉体を借りて詫びたのです。

私はこの瞬間、母がどうして我が子を前に
母性を開花させられなかったのか、
真の理由を知ることとなりました。
私が彼女からどうにも愛されない理由。
母の苦しみの源は既に少女時代にあったのです。

さらに、Kさんからこんな言葉を聞かされたのでした。

「人には誰も、生まれた家系があるように”霊系”があります」

代々音楽家の家系、代々和菓子職人の家系、など同じ仕事や
活動をする運命の元に生まれた命の繋がりを
”家系”と一般的に言いますが、

”霊系”も同じようなもので、
しかし血の筋ではなく【霊魂の筋】として
この世で同じ役割を果たすために
生まれてくる魂の繋がりを指すのだそうです。

Kさんによると、私は本来
「人様のために、ある種の力を使って
この世での使命を果たす霊系の元に生まれている」
とのことでした。

それを無視してエゴのままに生きようとすると、
災いというサインを示して
本来の道から外れていることを教えてくる、と。

一緒に行った友人のセッション時には
霊系などという話は一切出なかったそうなので
誰にでもしている話ではないことは明らかでした。

かつてオーラが見えていた
子ども時代のことを打ち明けると
「あなたの霊系からいえば、見えていたのが自然でしょうね」
当たり前のように返されました。

”宗教システム”にはひどく葛藤が残っていたものの、
”霊系”という概念に抵抗を感じない自分が
そのときはなんだか不思議でした。
そしてさらに不思議なことに
「誰かのために生きる」という言葉をかみしめたとき、
なんともいえない軽やかさと
柔らかな毛布に触れたようなやすらぎを覚えたのです。

「そうだ、私はもう死んだも同然の運命なのだから、
これ以上何も望まないほうがいいんだな。
いずれ私にも本当の死が訪れるんだし。
だったらもう自分の幸せなど、もはやどうでもいい。
誰かのために命を使い果たしてしまえるなら
それが一番いいかもしれない」

そんな考えが頭をよぎったのです。
しかし、心の眼を閉じていた時期でもあったので
”人様のために使命感を持ってコトに当たろう”
という動機が高尚すぎるような気もして、
落ち着かない感じがしたことも事実です。

しかも<霊系>とやらを意識したとして、
どのように目に見えない世界と関われば、
この世での居場所を持てるのか? 
すぐに答えは出ないようにも感じました。

「まずは、タロットの成り立ちを学んでみてはどうでしょうか」
なぜかKさんはこう投げかけてきました。
実は亡くなった祖母からの提案だったのです。

タロットカードという言葉に出会ったのは
そのときが初めて。西洋の神秘思想を元に、
宇宙の法則を体系化したものであることは
すぐに知ることとなりましたが

この世界を知れば知るほど奥深い仕掛けが
あることが、持ち前の好奇心の源泉になり
ボロボロだった自分自身と向き合いながらも
死への誘惑が次第に減退していったのです。

生と死の関係を見事に切り取るタロットが
あの世とこの世をつなぐ架け橋になり
魂の旅心を満たすツールの一つになってくれたというわけです。

そうしていつしか
「大いなる源=サムシンググレート」と向き合い
自分の心や魂とも向き合い、
宇宙と自分がどこでどうつながっているのか
広く深く学んでいくことになっていったのでした。

人がこの世で、真に幸せになるために必要なもの

こうした日々を通して
世界中の古代の賢者たちが残した文章を
読みあさっていた時期の記憶が甦るまま、
私は精神世界の高みを目指して登り始めました。

西洋の古典から現代を司る心理学も平行して学び、
カウンセラーの資格も取りましたが
”古代人の教養”とされていた運命学を
東西問わずに実践として学んでいったことが
現在の大きな礎になっています。

特に、今では古来から東洋に伝わる
風水や方位学も大切にしています。
森羅万象、宇宙とこの地球を視野に入れた学問であり
「誰もが天と繋がり、この世で花開く作法」であって
<真の教養>の一つだと実感しているからこそです。

また瞑想を学び、その副産物として過去世のビジョンを見ることや、
守護霊や指導霊と一般に呼ばれるエネルギー体との交信が
少しずつなされるようになり、

遠隔透視などの技も向上していくに従って、
人のオーラを再び見ることや
幽体離脱が日常になっていきました。
これは自分の<霊系>を取り戻すプロセスの一つ
だったといえるでしょう。

こうして、セルフイメージを整え直し
自己否定の罠から抜け出したおかげで
いつのまにか私には、
人生をやめる理由がすっかりなくなっていました。

もちろん、苦しみがゼロになったわけではありません。
乗り越える壁はいつも用意されています。
それを嘆いたり、避けて通ろうとすることは
もうないだろうと思えるので安寧を感じられるのですね。


Mission

天命を呼び戻すため飛びこんだ、災いによる深い学びのプロセス

「古神道(かんながらのみち」

自然界にあまねく存在する八百万の神々と
一体化する道=”霊性を開く道”は
実は、この星の国々にあらゆる形で用意され、
文化として残されています。

それを神智学、神秘学として体型化してきた歴史が
どこの地域にも密かにありました。

この修行を経て覚醒した私は、
その歴史の一筋に自分が繋がっていることを実感し、
<真の自分と融合する>機会に巡り会えたのです。

「真の自分らしさに至ること=真の調和に至ること」

「誰とも群れずに、天やどんな命とも一体化し開花すること」

個としての命が活性化しているからこそ、
他の命と調和でき、最高のその命らしさが輝きます。

矛盾しているようで完璧なバランスを成す存在。
その不思議な存在こそが<真の自分>であり
<天との調和=運命好転>の鍵になることを
今の私なら知っています。

それを一人でも多くの方にお伝えし
その方が魂レベルで望む自分らしい最高の道を
自分の足で、自分のリズムで
喜びを持って歩いていけるよう
サポートさせていただくのが使命だと心得ています。

一人ひとりがこの世界に<自分自身という最高のメッセージ>を
伝え運ぶ存在なのです

苦しみに感情だけでフォーカスすると
苦しみに重力を与えてしまいます。
苦しみを解決する方法は
現象としての苦しみにだけ反応せず
苦しみの源を知ること。
そこから<天との調和>がスタートします。

私自身が人生の虚しさと寂しさ、絶望という
「不調和」のサイクルから抜け出すことができたのも
苦しみの源と向き合えたからこそです。

「不調和」の罠から解放されたことで、
何か問題が起こっても自分を信じる心を見失わず
幸せをまるごと受け入れる勇気が湧くようになりました。

おかげさまで現在3度目の結婚生活にも
チャレンジしており、継続最長記録更新中です(笑)

かつて自分の母性を信用できずにいた私ももういません。
我が子を持つチャンスは手放してしまいましたが、
日々出会う方々の未来を慈しみをもって
見守る機会を与えられ、とても満たされています。

とくに母や妻としての役割に葛藤している
今を生きる女性たちを応援するのは、
私のささやかな使命の一つだと感じています。

そして、かつての私のようにセルフイメージを
最低にしたまま自己嫌悪の渦に巻かれ
翻弄されている方々や、
不幸の原因を他人や環境のせいにしてしまう
思考のアンバランスにとらわれ
身動きできずに苦しんでいる方々が
その手で自らの運命を砕いてしまう前に、
本来の自分を取り戻していただきたいと願っています。

「運命」とは、命を運ぶ、と書きます。

命とは宇宙からのメッセージそのものです。

私たちは一人ひとりが、
芯の通った個性ある生き方を通して
この世界に「自分自身」という
最高のメッセージを伝え運ぶ存在なのです。

それが周囲を幸せで満たす呼び水にもなります。

『最高の運命を生きる』とはそういうこと。

この天命を胸に抱き
一人でも多くの方を
サポートさせていただけるよう、
自分の中の小さな光を
今日も磨き続けています。

つづくよ、人生は

ここまでの長い文章を読んでくださって
本当にどうもありがとうございました!
心より感謝申し上げます。

※上記からもご推測可能なように、活動上
特定の宗教組織や団体との関わりは一切ございません。